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美学における崇高概念の再考
N1Aesthetics
カントは『判断力批判』において、美しいものが調和と均衡をもたらす対象であるのに対し、崇高なものは人間の理解力を超えた圧倒的な規模や力を前にして生じる感情であると論じた。荒れ狂う大海原や切り立った断崖を前にした人間は、まずその圧倒的な力に恐怖を覚えるものの、やがてそれを安全な立場から捉え直す理性の働きによって、畏敬にも似た快の感情へと転じるというのがカントの説くところである。この理論からすれば、崇高とは対象そのものの性質というより、対象を前にした人間の内的な精神作用にほかならないということになる。もっとも、崇高の概念が主として自然を前提に論じられてきたことは、現代の美学者からすると再考を要する点である。巨大都市の摩天楼群や、想像を絶する規模のデジタル・データといった、人工物や情報環境を前にしたときに生じる感覚もまた、崇高概念の延長線上で論じ得るのではないかという議論が近年提起されている。技術がもたらす圧倒的な複雑性を前にして人間が覚える畏怖の感情を禁じ得ないという経験は、まさしく崇高概念が現代的な文脈において再解釈されるべきことを示唆していよう。カント以来の崇高論を単なる過去の遺物として片づけるべからず、その理論的資源は今なお豊かな可能性を秘めている。